設立日。これは会社にとって、非常に「おめでたい」日である。当社も、無事に2019年4月16日に登記することができた。

でも他の会社がそうであるように(もしくは事務手続きの進捗や偶然のタイミングで登記した会社も多いと思うが)、当社がこの日を選んだのには理由がある。それは「おめでたさ」とは縁遠く、でも一方でとても大切な「ありがたさ」を感じる日でもある。

遡ること3年、2016年4月16日未明。当時、東京で働いていた私は、「たまたま」帰省していた熊本で、M7を超える本震に出遭った。以降も続く余震。避難所には多くの人がやってきて、学校のなかで数千人が寝泊まりすることに。その雑多さが、安心でもあり、さらなる不安を募らせるものでもあった。

そんな緊張感漂う場で目の当たりにした、いくつかの出来事。
 ・近くのハローワークに経営者が多く来ていて、事業存続の相談をしているときの表情
 ・前職の先輩方が、わが身の危険を投げ捨てて号外を配りながら、給水所を案内する姿
 ・コンビニや避難所で、どんな状況でも高齢者・子供に譲ることを当たり前に行う風習

この被災を通じて、自然の脅威や家族感はもとより、仕事や地域社会のあり方など、私の中の様々な価値観が、ほんの一瞬で崩れ去ったのである。

辞めるつもりもないほど、大好きだった会社と仲間。何不自由なく、純粋に向き合えた仕事の面白さ。生活も情報も最先端かつ快適である東京という街。でも、3年前の4月16日をきっかけに、自分の人生は、自分の思っていた未来からはみ出してしまうことを選ばざるを得ないほど、大きな変化をもたらした。

多くの被災者が出て、弔いの思いしかないけれど、私にとってこの日は、とても大事な一日である。この変化、そして行動が、人生にとって良い方向に行っているのかは分からない。でも非合理かもしれないが、私にとってはこの一日の意味を、そしてそれまでとこれからの人生を考え、きちんと昇華する時間が必要だった。

そんなことから、会社を離れ、東京を離れ、社会からも離れた一年を経て、私なりに考えて、2019年4月16日に新しいことに挑戦してみようと思う。ひとりでは、なにもできない。だからこそ、ひとりで始めてみたい。そんな自分自身のなかにある矛盾といまも闘いながら、自分にしかできない社会への貢献を追求していきたいと決意した次第である。

天災は、有無を言わさず、多くの人の人生を大きく変える。偶然にも、家財以外の被害を受けずに健康である自分が為すべきこととはなにか。その答えに向かって人生を掛けることが、いま私が果たすべき「生きている責任」であると感じている。

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